目から鱗!訪問看護が合わなかったわけをフロイト目線で考える

図書館で借りてた『躁鬱大学』(坂口恭平)を、わざわざメルカリで文庫本取り寄せて読んでました。

この本じつに面白いんです。

実は、最初は彼に良くない先入観があって、正直批判的でした。

その時わたしのメンタルは鬱寄りだった気がします。

しかしながら、ここ2日間あたり頭の回転(好奇心)が早くなってきてから改めて読んでみると、まるで肉じゃががジワワワン…としゅんでいくかのように染み渡っていったんですよね。

躁に入りつつあるのかもしれない…彼の本は、躁の人に響く本なのかもしれません。

買った本には、マーカーをガンガンに引きました。

なんなら夜通し考察を書きたいところでした。

そこでビンゴ。

本文にもあるように、今日、ホテルのロビーを歩いてた時に「ひらめき」が降りてきたんです。

大学時代から哲学・心理学領域で好きな偉人といえばフロイトでした。

彼の「超自我」という考えが、ストレスがかかって鬱になったケースにピタリとはまったんです。

それがひらめき第一号でした。

簡単に「意識の構造」をご説明しておきます。

よく氷山にたとえられるあれとは異なるものです。

▪️自我…うまく折り合いつけて考えるところ

▪️超自我…道徳(※文化により異なる)

▪️イド(エス)…根底にある欲望(快を欲する衝動)

意識にはこういう関係性があるんですが、超自我がカチンコチンだとストレス過多で苦しくなるし、ゆるすぎるとモラル守れない人みたいにもなっちゃうかもなんです。

で、日本人の抱く超自我と言えばたぶんこれ。

「周囲に合わせなさい」

「人に迷惑をかけてはいけません」

「空気を読め」

これがスタンダードかと思うんですが、これの見方をひっくりかえすと、わたしがなぜこの前、訪問看護が合わず逆効果でストレス性のうつになったのかが見えた気がしました。

あの時発生した”支援制度の超自我”(わたし目線)

「訪看サービス利用してるんだから患者らしくしなさい」

「わたしが看護師として家に来てるうちは、あなたは患者です」

はっきり言って、不要なサービスだらけでした。

だって10年以上、A4の紙3枚に睡眠・気分・服薬の記録全部書いたのを主治医に見せてるし、服薬を忘れないように薬剤師さんがパックに印字してくれてるもん…とかって話ではないんですよね。

なんか、一見やさしさに見たているようで、社会からの圧?でビリビリになりました。

看護師さんはみんないい人だったんです。

ただ、わたしはこの枠組みにはまりきれなかったんです。

それで多分尊厳を奪われた感じになったのでしょう。

ちなみに、こういうのも誤解されやすい気がします。

社会の枠組みに合わないのを、

「看護師が合わなかったからでしょ」

「学校の先生が合わなかったからでしょ」

「今までいい相手と出会えなかったからでしょ」

って、なんでもチェンジすればいい、そう話をすり替えられることってありがちなんです。

悩み相談も気をつけなければいけませんね。

「今までいい相手と出会えなかったからよ」なんてアドバイスは、アセクシャルに言われるのもきついものでした。

これはおおかた過去形になりましたけどね。

経験値と年齢が自分を楽にしていってくれてるのかな。

人生の後半に向けて、新たな課題はできてきますが…

諦めと割り切り。

いい意味で過剰な要求は減っていってる感はします。

結論、時代が追いつくのが遅すぎる!

なんか、これ、19のときから言ってた気がします。


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